映えの時代に→結局経験が勝つんだと・・・
- Masako Takashima

- 2023年2月1日
- 読了時間: 4分

素敵な写真を見て選んだが、失敗
<料理やアロマクラフト>
失敗する時の原因
レシピが悪い(そもそも、出来栄えの写真とそのレシピが違っている)
材料が悪い(素材の香り、質、鮮度が悪い。レシピ提供者と同材料を使えば同じように出来る)
自分の腕が悪い(経験がないために、段取りやスピードが無い。何度かやれば克服できる)
<洋服やモノ>
アロマクラフトの容器で、悩むのがこれ。安くていいものを・・・と探す時に失敗する。シーツとか、タオルも。自分の服も、エプロンとかも。紹介の写真と違う。情報と違う。
使う人(着る人)は、自分とどう違うか確認していなかった
謳い文句(紹介文)や写真が、良すぎた
失敗しない為には、たくさん失敗するしかない
どんなにクチコミを読んでも、最後は買ってみないと分からない。何度も失敗すると「こういうものは手にしない」「こういう人とは付き合わない」と決まってくる。同じように
経験上、「このレシピだとうまく行かない」「この色にはならない」が分かる
経験上、この素材の服は毛玉になる、とかこの素材の服は皴になる、が分かる
経験上、このホテルは居心地が悪いだろうと予想できる
経験上、こういう価値観の人は合わないので、早くその場から立ち去る、が出来るようになる
それでも、やっぱり買い物や宿泊の失敗はあるし、人にがっかりすることもある。口コミを見ても分からない事もあれば(いじわるで書く人もいるから)、もちろん「聞いておいてよかった!」もあるわけ。
最後は「行ってみなきゃわからないし」「食べて見なきゃわからないし」「会ってみないとわからない」と思って自分で確認するのが一番だ。「私はこう思う」のデータは、自分で作るしかない。
絶対失敗したくないって人ほど、何もしない気がする。良いものを選ぶ人は、経験が多い。(と、経験上感じている)そういう人の、失敗は「失敗」じゃなくて「経験」という言葉に置き代わって活きてくる。
肩書き、口コミ、値段、星の数、は目安にこそなるけれどそれは「映え」「見かけ」なわけで、そこに人(お客様)が行き交わると多数の価値観が加わる。良いと思う人がいれば、イヤだったと思う人もいる。
だからこそ、言われた方も必要以上に傷つく事はないわけで、やっていることに自信があればやればいいし、「あ、失敗したな」「申し訳なかったな」と思えば認めて(受容して)謝って、直して、いけばいい。

一番タチが悪いのは「ばれた」。相手もがっかりするけど、自分が一番つらくなる。
フィルターを掛けた写真や、ブランドによって「私は結構かわいい」「私はお金持ち」と見せる
素敵な言葉を並べ「素晴らしい人」「素晴らしい商品」と見せる
人に気付いてもらう為にやるよね。私もやる(笑)。綺麗に見せるって「私はこういう価値観です。センスです」の表れだし、別に良いと思う。
ただ恐いのは「見かけと中身のズレが大きく、もはやズレではなく、嘘」となった時。不特定多数に発信して「いいね」を、もらうまでは嘘はうそとして、「見せかけを楽しむ」という遊びをすればいい。
でも、それを信じて近づてきてくれた人に「嘘をついている気がする、またその焦りがある」というなら、ほどほどにすべきだ。相手は「見せかけ」を信じてくる。そのギャップが無いように「私は中身も同じようにしておかないといけない」と、私は思う。
「思ったより年を取っていた」「思ったよりも背が小さかった。太っていた」「思ったより映えない商品だった」そんなのはいい。一番は「中身がすっからかん」「アナウンスと全然違う、もはや別物」な場合。そして自分自身がそれを知っている場合。「しめしめ、うひひ」などと思うものを広めているんだとしたら最悪だ。やっぱり「手に取って欲しい人に、手に取ってもらえる様に。手に取ってよかった。と思ってもらえる自信があるもの」を出したい。
嘘は誰でもなく、自分が分かっている。口先だけじゃんていうのも自分が分かっている。お金と時間と人の関係は、将来自分が何を大事に、どんな気持ちで生きていたいか?を作るもの。
私は元気なうちにたくさんの失敗をして、経験に変えて、良いものが少し、手の中にある将来があればいい。
さ、今日もたくさんの失敗の種を蒔くぞ!!

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