自然療法における「自己責任」とは
- Masako Takashima

- 2021年7月8日
- 読了時間: 9分
更新日:2021年7月16日

自己責任使用
よく聞くし、自然療法でよく出てくる言葉。
授業でも出てくる。私も使う。
でも、良く出てくるからって簡単に使ってはいけない言葉。
この言葉を「責任逃れの切り札」みたいに思われたくないし、そんな風に使いたくない。
※以下の文章めちゃくちゃ長いです。
アロマテラピーは自然療法の一部
□ハーブ
□薬膳
□ホメオパシー
□ハイドロセラピー
□ジェモセラピー
□バッチフラワーレメディ
そして
アロマテラピー
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アロマテラピーは、芳香成分を利用した数ある植物療法の中の一つ。
アロマテラピーっていう言葉も、「Aroma(芳香)」+「Therapy(療法)」の造語だ。
嗅覚のしくみを利用して、脳の深い部分、本能的な部分に働きかけたり、血流に植物の成分を乗せて体を巡らせて整えたりもする。
要は、「いい匂い」も利用するし、口から食べたりしないけれど「植物の持つ成分」も体内に取り入れて利用して心身を整えるというわけだ。

香りを構成するのは、有機化合物
香りは、目には見えない芳香分子だけど、「物質」として肉眼で見えないだけでちゃんと存在している。主にO(酸素)C(炭素)H(水素)などで構成されていて、骨格があって、それら骨格やそこにくっついているものの性質によって植物の作用の特徴や芳香の特徴が決まっている。
いいことばかりフォーカスされがちだが、その骨格+官能基に、紫外線や、酸素、熱や他の物質などが加われば、化学反応を起こして、状態も変化してしまって、酸化してにおいがおかしくなったり、肌に刺激を与える様になったり、内臓に悪影響する。そんなネガティブな反応も起きてしまうことを忘れてはならない。
豚肉に、ハーブやスパイス、果実、他の食材の香りをくっつけて焼けば、生臭さは消えるどろこか、たちまち色んな香りが相俟って(あいまって)、さらに熱を加える事で、色んな化学反応が起き食べる前から食欲をそそるたまらなくいい香りになる。食べてもいないのに、味が想像できるのは過去の美味しい記憶と食べた時の楽しい嬉しい経験からだ。
そして、成分的にも肉についている(ヒトにとっては)良からぬ微生物の繁殖を抑え、臭いを消し、消化を助けたり、肉を柔らかくしたり、いい作用をもたらしている。

昔から、人間は魚の下に葉っぱをひいたり、お刺身と薬味を一緒に食べたり、着物に香りを焚き込めたり様々な薬効を上手に使ってきた。いい匂いとか、見栄えがいいというのはもちろん、冷蔵庫の無い時代に、防腐や抗菌効果、時におしゃれとして使ってきた。
美しい着物に炊き込めた香りは、好きな人に気付いてほしい想いもあったし、今みたいに明るくない夕暮れ以降には、行灯や月の光以外は、香りで”私”を見つけてもらったり”あの人”と気付くしかなかったのだ。(それよりも「焚き込めるのは防虫効果だよな・・・」と、色気のない私は、思ってしまうのだが。)また人のケガや病気も治してきた。「言い伝え」のレシピでお薬として使われてきた。
今も利用される植物の利用法は、自然のものゆえに「まだ解明されていない成分」「紫外線や酸素による変化」が起きてしまうこともある。そこは昔でも同じだったはずで「おばあちゃんやエライ先生からの言い伝え」の中でそれ(ネガティブな変化と反応)もきっと併せて教わり、気を付ける様にと、併せて教わっていたはず。
オール植物成分・・・防腐剤も、何も入っていない、ていう事は、成分が変わる事だってあるのだ。夏の暑い日、暑い部屋の中にみそ汁の鍋を置いておけば一晩で腐ってしまう様に、水を使っていればあっという間に腐る。
それがアロマクラフトの化粧水や水を使って作ったクリームに置き換えて考えると、おしゃれで、安全なイメージのみで作ったまではいいが、ネガティブな変化、症状、が起きてしまったとしたらたちまち、「イメージだけじゃん。Aromaは良くない」と残念な感想をもたらせてしまう。
ここで改めて言うけど、簡単に使っていいものなんだよ。誰もが自分で作っていいし好きに使っていい。資格もいらない。だけど伝える人が、「自己責任ですからね」と言うのなら、ある程度の「こんなデメリットもあるので気を付けてね」も伝えて置いてほしいんだ。
畑から採ってきたシソの葉っぱを刻んで使うのと同じ様に使っていい。でも放置すれば色が変わり、そのうち・・・カビが生えるのに驚く人っていないよね。でも、精油も劣化するとカビこそ生えないけどにおいも成分も変わるんだよ。カビは目に見えるけど、成分の変化は目に見えなくて、匂いでしか分からない。いや、匂いもわからない時もあるからね。
シソを売る時に”黒くなる前に使いましょう。カビが来たら捨てましょう”とは言わない。”食べてお腹が痛くなっても、自己責任です”とは、書いていない。お酢を飲むのは体にいい。”原液で飲む人もいますが、たくさん飲むと胃壁がおかしくなります。いい塩梅を見つけて飲みましょう”とは、書いていない。民間療法的に酢を飲む事はあるけど、自分で薄め方の塩梅を図るよね。精油も同じなんだよ。人に勧められて飲むものではなく、どうしてそれを飲みたいのかを自分で決めてから飲む。(いや本来は、飲んじゃだめだよ)

さあ、本題の
・・・え、前置き長っ!
「アロマテラピーの利用は、自己責任。」
これは、そうなんです。自己責任での利用です。
何か起きても、主催した人の責任ではなく使うと決めた人の責任になるの。私も伝えています。
HPのトリートメントのところには
・医療行為ではない
・リラクセーションで行う
・自己の責任で受けてください
そして
施術者(高嶋雅子)は、サロンメニューにおいて行うトリートメント方法や使用の精油、植物油、岩塩、ハーブティ等が身体や精神に及ぼしし得る反応に関して、一切の責任を負う事はありません。医療類似行為も一切行いません。
と、太文字で書いたのだけど、「無責任かよ」と思われそうで、もちろん躊躇した。
だけど、曖昧にする方が気持ちが悪かったのでね、そう書いたの。
「受講生の方にも、誰かに紹介する時はきちんと伝える様にね」と伝えるし。
結局それは、
・自然療法だから。(人によって使うものや量が変わる)
・食べ物と一緒だから。(好みやアレルギー反応が起きることもある)
・「精油」は、日本では「雑貨」という商品であり、メーカーによって品質が色々だから。(あくまでも「雑貨品」であり、薬品ではないし、表示や成分などの決まりが曖昧だから)
・怪しい商品もあるから。(立派なHPだけど、見た目でごまかしていそうなところもあるから)
・手作りクラフトの場合、材料も色々、作っている衛星環境、保存環境も色々で、そもそも長持ちはしないから。(要は手作り梅酒や、手作りジャムと一緒で、○○日持ちますよ、安全に使えますよ、とは言えない)
だから、手作りの食品同様、体や好みに合う合わないがあり、アレルギー反応があり、香りによって記憶の箱をこじ開ける事もあるし、デメリットもそれなりにあるんだよ、と伝えた上で「自己責任で作ってね、使ってね」と、言って欲しい。
もちろん時間の都合上、内容的に、こんなこと全部説明できない場合だってある。
だからこそお互いの人間性というか「感覚」「価値観」に違和感を感じるか感じないかも大事。「どうかな」と思うお客様には、くれぐれも・・・・と説明する。また自分も、「ちょっとな・・・」と思う人のワークショップには参加しない。
「ちょっとな・・・」の人とは、「利用は自己責任です。」の伝え方が、伝えておけばこちらは大丈夫的な「何か起きた時の為の保険の様な言葉」というイメージで使っている人。相手を想って、ではなくて逃げ口上的なイメージで使う人、そうやって生徒にも伝える人。
この言葉を使う時に気を付けなきゃいけないのは、「紹介側は良い事も悪いことも説明し得ることは全部説明する責任があって、利用者側も全部知ったうえで自分で決める責任があるんです。」という事。え?全部?!と驚く事ではなくて、自分の知っている範囲でいいんです。そして、「自分の知っている範囲はここまでで、この情報はこういうところで知りました」程度で十分。
逆に、テレビで言ってました程度の不確かなものを延々と紹介するのはどうかと・・・。全部のテレビが×じゃないよ。話題の一例でという引用悪くない。だけど、ホリスティックにみて「全体のうちのこの部分の話題です」を言っている番組がどれだけある?本を読む、ネットで調べる方が早い。
私の場合、このブログの通り、説明がとても下手です。だからマンツーマンで、時間をかけて、自然だからこその「ネガティブな部分」もホリスティックにみてこれが自然なんだよと伝える事をしたかった。これを知った人が、誰かに手当てをするとき、癒しを与える時、自分の為に使う時にも、第三者にお金をもらって講座をするときも、きちんとしたものを伝えたい。
人間も自然も、良い部分と悪い部分、誰かからみれば「良き」になるし、誰かから見れば「嫌」・「悪」な部分になる。はっきりした線引きなんてない。だからこそ本人が選ぶんだと伝えたい。

海は、いい。森はいい。癒されるし、恵を与えてくれる。でも、潮風は車や家を劣化させるし、洗濯物が潮の香りになる。森は虫やヘビがいて、それでも森の恵みが多いからと、そこに行くことを喜ぶ人もいれば嫌いな人もいる。
そしてそんなメリットデメリット、全部を知ったうえで、時々遊びに行くところにするのか住むところにするのか、決めるじゃない?自然療法もそれと一緒なんだわ。誰でも使える資格があって、紹介する権利もあって、最後は本人が選ぶ自己責任だよ、と。
□あの人が、あの番組が、本が、サイトが、いい事ばっかり言ったからだまされた。じゃなくて、選んだのは自分。
□いいことばっかり伝えて、誘導して選ばせて、信用を無くしていくも自分。
□時間をかけて、情報を集めて、自分で感じて、全部伝えて、本人に選んで頂きたいと、人からの信頼を得ていくのも自分
国家資格じゃないからこそ、自分に責任が出てくるし、お互いの信頼がものをいう。自分かどう感じたかの感覚が大事になってくる。いや、信頼しかない。この人がいいというから、やめておこう、って事にもなる。
「自己責任なんだけどね」と、おいしい部分の話だけ続けていても、人は耳を傾けてはくれない。むしろ「自己責任で選べるための、フラットな情報を広く持ち、なおかつその人の人間的な信頼」があるかどうかが、話を聞いてくれるかどうかにな繋がるのだと思う。

紹介する商品は、○○グレード。。。って、精油にはそんな基準はどこにもない。基準ていうのは、何かの利用目的があっての数値的なもの。病院で使われているというのは、誰かが何かの目的と基準があって、その病院は何かの目的の為にある精油を選んだわけで、薬の代わりに飲ませるわけでもなければ、ステロイドの代わりに塗り付ける事もしていないはず。(医薬品グレードなんて精油は無い)。
緊張の緩和やリラクセーションの一環として、院内でトリートメントに使う時も、きっと濃度、精油の成分、そんな管理もきちんとし、患者様に合わせて一人一人の状況を把握して使っている。それを「○○病院が利用している。だから認められている」と「いいように受け取り」、たくさんの人の前で薬代わりに使えるような言いをして「最後は自己責任です」は、なんともがっかりする。
「ディフューズして患者様にリラックスしてもらおうと思って買った」「ハンドマッサージに使おうと思った」という精油は、医薬品として使っているわけではなく、「普通の人が使う、普通の使い方をしているだけ」の事だ。病院が、ツライ患者様の立場になって考えたホスピタリティとしてのおもてなしとしての方法の一つ。

ものすごく長く語ってしまったけれど、自己責任に対しては、自分は以上の様に思っている。自己責任に関しては、私の授業ではそれを言えるくらいの内容は伝えたいと思っている。
そして、受講生さま自身が来てくれたことに対して
「自己責任で選んだものがいいものだった、役に立った」
と自分の選択力への自信になるか喪失感になるか、私に責任があるよね、と思って講座やトリートメントをしている。




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