嬉し涙を当たり前にしない
- Masako Takashima

- 2月16日
- 読了時間: 9分
更新日:2月26日
高松マンツーマンアロマスクール、アロマティコ高嶋です。 3月は私には特別な月なので
今日はちょっとそのお話を・・・
嬉し涙は、人に言いたくなるものと言えないものがある
うれし涙・・・「当たり前」なことじゃないから涙が出るのだけれど、 でも・・・それって2種類あって 泣ける場面が事前に「泣いちゃうかもしれない」と想像出来ていて、そしてキレイに(笑)どこか冷静に泣いていることありませんか? 卒業式、発表会、誕生日のサプライズも、その中のひとつかと思います。いや、嬉しいのよ、本当に。いちいち本当に嬉しいんだけど、
そうじゃなくて、
そうじゃない涙があるんだなぁと知った事があったんです。
ある日突然予想もしておらず、何も準備もなく、あ、泣きそう・・・とかでもなく、ば-----って、涙やら鼻水やらが流れてしまってその後、「この顔どうするの」くらいの涙を流した事がありました。
心の糸が切れたようなそんな涙です。
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例えば我が子の卒業式、置いてある親に宛てた手紙ですが、見たとたんに読む前から泣くだろうと予想が出来ている。分かっていても泣ける。でも「書かされている」のだろうと思うと、先生がどこかで親が泣いているのを見て喜んでいるのかも?などと思う自分も居る。
人の嬉し涙の話を、人は本当に聞きたいか
人の嬉し涙。一緒に喜べて聞いているだけでこちらも感動する事もありますが。 でも、それはある人には”どうでもいい涙”でもあります。 お子さんがいらっしゃるご家庭、この季節は
卒業、入学、合格発表、1人暮らし・・・・巣立ちの季節で、色んな涙を流す季節です。そんな話も多く聞きます。
私も子供が小さい時はたくさんの節目に涙を流しました。だから、その気持ちはとても良く分かる。今でも大きくなった喜びとか、手を離れて行く寂しさとか、その度に涙が出ます。泣き虫なんでね、私。
でも、それは、子供がいて上手くいっているいる人の家庭の話・・・それを聞いて、自分の事の様に喜んでくれる人、または心からのおめでとうを言ってくれる人はどのくらいいるんでしょう。その後に「ウチも」と言わずに、自分が喜んでいる姿を「ああ、それは本当に良かったね」と喜んでくれる人。そこで友人関係の強さを感じます。
私はもう10年以上前の話しになりますが「友人から届く年賀状の子供の写真」を、見るのも嫌になってしまうくらいに病んでしまった事があります。ふーん、いいね、良かったね、と。それ以来自分の年賀状は、シンプルな年賀状を出すことにしています。
今でこそ、届く年賀状には「うわ大きくなったな」と喜べるようになりました。そういう自分になれたことにホッとするんです。 でも私はそういう年賀状は出しません。私の年賀状で、もしも一人でも「うっ」と思わせたら・・・?と思い、今は子供の写真や自分の状況の報告をするような内容はやめました。私の近況を知りたい、年1回のやりとりしかしない友人・・・・なんて居ないだろうと思うから。 相手の健康を願う言葉だけを手書きで添えて出しています。(個人的な意見です。年賀状断捨離を丁寧に進めました。)今は本当に大事な人に出しています。他の友達にはLINEで「年賀状を止める」旨を伝えてあります年末年始は普通に過ごせた事に家族で感謝し、もうそれで充分だと思っています。 あ、話それました。
さあ、話しますよ
本当に不意打ちの、ショックすら感じるうれし涙
私の子供は、高校をある理由から中退し1年”色々”働き、自分で貯めたお金で1人暮らしをし、免許を取って、その後、働く事はやめずに通信の高校へ行き東京の専門学校へ行き、ずっと美容師をしています。
・・・と、
ここれだけ言えば「すごいね、良かったじゃん」のお話ですが、通信に行くまでは「とんでもない修羅場」を家庭で繰り広げていました。時々Blogやプロフィール等で書いていますが、私が自分で言うのもなんだけど、私がいわゆる毒親だったんですよね。
そして、毎年この季節に思い出すのは、彼女がもらった、通信の学校の「卒業証書」の事です。卒業式に出なかったので「卒業証書」は丁寧に梱包されて送られてきました。
普通の、幼稚園や学校の卒業式は何度も参加したけれど、こんな渡され方は初めてでした(笑)当の本人は、もう東京へ行っているし、玄関で「学校からなんだろう」と思いました。 受け取けとり「(本当に分からず)なんだろうな」と包みを開け、厚い台紙に挟まれたその卒業証書見た瞬間、「心臓がドン!となりました」 そのまま、まさかの号泣をしました。一旦泣き始めるとそれこそ、色んな想いがこみ上げてしまい、そのまま声を上げて「オイオイ、ヒーヒー」泣きました。 それこそどうしよう、くらい。
心にこみ上げて来た言葉は 「たかが高卒になる為だけに、どうしてあんなに子供を傷つけてしまったんだろう。どんな形でも前に進めればそれでよかっただけなのに。どうしてそんな簡単な事に気付かなかったのか。この紙の重さを、どうして軽んじて扱ってしまったのか」 でした。
彼女を中退させまいと拳をあげて、声を荒げた事。 それでも家族でもみくちゃになりながら捻り出した答えが、正しいかどうかも分からずずっと不安だった事。 本当に経験値の低いが故の、貴女の為と言いつつ、所詮自分の見栄の為に誘導しようとしたひどい親だったと、改めて走馬灯の様にやらかした数々のことがよぎりました。
聞かれるのでそこからどうやって?考えを変えた
一言で言えば「色々勉強してみた」専門家にも頼った。その中に「アロマテラピー」ももちろんありました。それだけじゃないけど。 そのあと、徐々に体が戻り、人間に戻ったというか・・・
そのひどいつらく当たった時間は決して消えないけれど、無かったことにするのではなくて、代わるものを一つでも作って返して行こうと決めた事は、今自分が迷う時や子供と意見が合わない時も冷静に話すきっかけになっています。語ると本1冊になるので(本当に)、聴きたい方は来てください。 人は家族であっても、まして他人なら、「考えが一緒じゃない」事はたくさんあります。話をして、伝えて、想いを寄せて、決めていけばいいんです。
涙の話しのつづき
とにかく色々思いが巡って、よくこんなに泣けるもんだと、途中で冷静になってきたので、せっかくだから玄関でずっと思いっきり泣いてみました。
もがいた者だけが手に入れた経験の数々、道を選ぶ怖さを乗り越えて来た者だけが持てた強さ、こんな状態でも健康でいてくれた事、笑顔でいてくれた事、浮かんできた思いに感謝と感動を1人で感じていました。
ひとしきり泣いて、自分なりの卒業式を勝手に終えた後、改めて人の目に見えない部分にキチンと気付ける大人になろうと思いました。
夫や子供に感謝するのは、
「元気に働いていてくれる事」
「家族それぞれが、やりたい様に生きていること」
「それをサポートしてくれる人がいたこと」
日々のあわただしい生活の中で、
これが、油断すると当たり前になって欲深くなってしまっていることに気付きます。
恐いですよね人間て。すぐに欲にまみれますよね。
あの日、卒業って、こんなに大変な事なんだ・・・と、号泣した事は段々薄れて行きます。だから、テレビやSNSで卒業式の話題が出るこの時期に、普通に過ごせている事に改めて感謝して生きています。
今年も、皆さん、ご卒業おめでとうございます。
進級進学、就職、転職、それだけじゃない、何かを決めた人スゴイと思います。 もし図らずも、思い通りでなかった道でも、それでも進むことには意味があると私は思います。退学も「進歩」です。選んで進んだわけです。
最後に・・・自分で決めることが大事。人任せはツケがくる。
何に進むにしろ、親の言いなりなら、きっとうまくいかなくなった時に壁が立ちはだかります。でも、その時に「抵抗せずに、言いなりの道を進む」と決めた責任は自分にある事を忘れないでください。 抵抗は必ずした方がいいです。出来れば早いうちに。なりふり構わず、感情的に抵抗できるのは小さければ小さい時ほど楽に出来るはずです。そして親はその抵抗の痛みを感じる幸せを、しっかりと感じるべきです。辛くても、感じて、一緒に考えて、親が出来る事(出来る範囲)、出来ない事、迷う事を正直に伝えて話し合うのがいい。
みんな頑張れ、私も頑張る
私の講座、トリートメントは時間じっくり取っています。それは、こういう経緯があるからです。学びは人を助ける、そして、黙って体を緩める事も人には必要、それを伝えることをしたいから。それで、いいんだと、伝えたいから。
普通に悩んで、困って、喜んで、悲しんで、それでもまた、進んで行けます様にと思っています。
今年も長い、重たいお話に、付き合って下さってありがとうございました。(毎年手を加えてアップし直してる)
※通信高校について
本当に良いです。通わせて?分かりましたが、世界を回るスポーツ選手などやりたいことがある子なども多く利用しています。サポート校はウチは通いませんでした。年数日のスクーリング合宿に参加していました。 これからの時代、通信高校=高卒資格を得る為の一つの選択肢の一つとして、大いに有り!!と声を大にして言いたいです。
全日制高校>通信高校 と、思う人はヤバいなと思います。そして全日制高校の基準で人を見たり、グループをつくる時点でヤバいな、と思います。 田舎のありがちな会話で「どこの高校?」があります。だいたい地区で1番と言われている高校ですよね。全部は否定しませんが、それで諸々図るんですですよね。今はそういう種類の人とは付き合わなくなりましたが、本当に嫌でした。というか笑えます。 ○○高校卒、○○大学や学部卒という事に、コダワリを持つ人もいるかもしれませんが、そんな事はどうでもいい、その子が何を見つけて、どう過ごしているのかが大事、試行錯誤が大事と思っています。 あのまま人生歩んでいたら、今もまだ「うちの子は」の話題が一番の楽しい自分で居たかもしれない。ぞっとします。仕事もきっと上手くいっていません。 そこに気付かせてくれたのは、あの日ふいに流したうれし涙から。 予想できるうれし涙よりも、もっと思いうれし涙。 あの時玄関で鼻水流しながら泣いたことは忘れたくない事のひとつです。 そして、この春を喜べないで過ごす人が居る事も忘れません。色も季節も分からなくなり、なにもかもどうでもいいと思っていた事も忘れません。今でもそういう人が、意外に身近にいるかもしれないといつも心に置きながら日々を過ごしています。



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